第26回 小商いの生きる道
吹き荒れるグローバル経済による画一化の大波。
「小商い」はこの8年ほど、その大波に対するちいさな避難所的役割を果たしてきた。
「 大海に出ていこうとするから、飲み込まれてしまうんですよ」
「岩場の陰で、やっていきましょうよ」
「ちょっと狭いけどね」
「獲物もすくないけどね」(稼ぎ、減るわな)
「まあ、それはそれ。住めば都で、案外わるくありませんよ」
てな動きが、各地で盛んになった。
いまでは、「しょぼい喫茶店」まで「ふつう」である。
ミシマの会社も、かれこれ10年以上、小商いをつづけてきた。
だが、今年に入ったあたりから、小商いが次の段階にきた。と感じるようになった。ビジネスパーソン風に言えば、「フェーズ(笑)が変わった」。
おそらく、10年近く小商いをつづけたことのある人なら誰しも納得してもらえるはずだ。
小商いをやりつづけることはむずかしい。
けっこう身も蓋もない結論に思われるかもしれないが、たぶん、これが答えだ。
ずっと岩場の陰「だけ」にいれば、獲物は自然、減る。現状維持すなわちそれ右肩下がりの微減を生む。なにより、たまには太陽を浴びないとからだにも悪い。
小商いの要諦、それ、小商いの精神でありつづけること。「かたち」のみちいさくありつづけることにあらず。
という結論を確信するに至った。
*
ここだけの話、ですよ。
これを書いている時点ではまだ告知はしていない。問い合わせがくるたび、「現時点では予定はありません」と返答してきた。ただし、「突然、募集する可能性がゼロではありませんが」とひとこと付け加えて。
とはいえ、今年はないだろう、と自分でも半ばタカをくくっていたのだ。
ところが、ひとつきほど前からむくむくと「いや、今年も」という気持ちが湧き出した。
「今年も新卒採用をしよう」
その気持ちが高まった。
「高まった」ということは、イコール「やりなさい」、だ。限界まで蓋をしていたのに、それでも蓋をこじ開け、湧き上がってきた内なる声。この声に従わない手はない。
これで3年連続新卒採用をすることになる。
「ない」から「する」へ。
180度舵を切ったわけだ。
この変化はいか故か? と問われれば、「なんでも」と答える。街の先輩バッキー井上氏の薫陶を受けて久しい身としては、基本、「なんでも」と答えたい。
が、会社の経営を担う身でもある。何を訊かれても「なんでも」ばかりでは、不安をむやみに煽ることになりかねない。理由があるほうが周りも安心するだろう。自分の整理にもなる。
そもそも、ちゃんとした理由を示せることは、これから入る人にとって最低限の礼にほかならない。
「どうして新卒採用を突然されたのですか?」
「えっ、なんとなく……」
これだとあんまりだ。
結果が同じ「なんとなく」であったとしても、徹底的に考えてみるという過程こそが、最低限の礼となる。
で、考えてみた。
つまり、「フェーズ(笑)」が変わったと確信した、その背景とは? を考えたのだ。
すると、意外や意外、するりと3つほどの理由が思い浮かんだ。
*
其の一。新人をとってよくなっている。去年、今年と1名ずつ加わった。それによって、いい風が社内に吹き込むようになった。実感をもって、よくなったと言える。
其の二。新レーベル「ちいさいミシマ社」をこの7月に立ち上げた。少部数の本を出す。その卸率を15%下げることで、書店さんが「薄利多売」モデルを抜け出すきっかけになれば。そう思って立ち上げた少部数レーベルだが、社内的には、若手編集者が本づくりの経験値を高める機会を得ることとなった。いきなり不特定多数の人に向けた本づくりをするのではなく、顔の見える人たちに届ける。その延長上にある一定の少部数をしっかりつくる。20代のうちに、編集者としてのそういう足腰をつくっていってほしい。
「ちいさい」から育つものもあろう。
其の三。正直、手が足りない。やりたいことがいっぱいある。出版という仕事のみならず、あらゆる産業で大きな変化が押し寄せる今。次の時代の先をいくような動きをとりたいものだ。「ちいさいミシマ社」や昨年の「みんなのミシマガジン」リニューアルはそのとっかかりだが、まだ一歩を踏み出したにすぎない。おおきな道にしていくためには、踏み出した道に血を通わせていかねばならぬ。血が通う。それは、日々の仕事を通して練りこんでいくこと。現状、練りこみたいけど、練りこむ人がいないために、道半ばどころか、道一歩目にして止めている課題がいくつもある。
こうした現実を前にして、かたちだけ「ちいさい」をめざすのは本末転倒ではないか。そう思うようになったのだ。
詳しい分析は専門家にゆずるとして、どうやらあらゆる産業において、行き詰まりが起こっている。日本経済の実体や社会構造(急速な人口減の高齢化社会)に釣り合わない大きな船がいっぱい浮かび、方向転換したくてもできない。かといって船の大きさをちいさくするのもむずかしい。というか、外国からもっともっと大きなタンカーみたいなのが大海に鎮座しているし。怖いし。
というわけで、ガマに睨まれたカエルのごとく、いやな汗だけを流してじっとしている。いまの日本経済の状況は、そんなふうに我が目に映る。
より「大きい」も、もっと「ちいさい」もむずかしい。
「カンフル剤しかないっすよね」
「だよね。ビッグイベントこしらえて、ね、ぱっと、もうけましょう」
「オリンピックとか万博とか、そういうのやってさ。そしたら、終わったあと、状況が変わってるかもしれませんから」(*変わるわけがない——筆者注)
てな、話し合いが政府と経済界であったかどうかは定かではない。
ただ、日本の会社の現状がそんな状況にあるのは、当たらずとも遠からずではなかろうか。
で、小商いネクスト・フェーズ(笑)の出番である。
もちろん、新しいことをやっていく。小商いのみならず、企業のほうも、現状維持すなわちゆるやかな死、なのだ。
手を打っていくことがどうやっても求められている。
問題は、どういう手を打つか、だろう。
その際のポイントは、「時間軸」。
これが、小商いネクスト・フェーズ(笑)を思いついたとき、同時に出てきた考えだ。
商品や店づくりであれば、過去をとりこんだものであるかどうか。
これがないと、「痛い」ものになってしまう。
たとえば、なじみの街の居酒屋さんが、ある日突然リニューアル。オープンのチラシが入ってたので行ってみると、内装がえらくツルツルした感じになっている。安いデザイナーズホテルみたいだ。席と席は間仕切りで仕切られている。大将とバイトさんとの掛け合いみしたいなやりとりが楽しくて通ったこともあった。が、「注文はタッチパネルでお願いしま〜す」と言われたきり、店員の姿は見えない。お皿を運んできたとき、ひとこと言葉をかけようと思っていたら、「ご注文は以上でよろし“かった”でしょうか」。終了。
こんなリニューアルなら要らない。
幸い、出版の場合、日々扱う商品である「本」が、時間軸を組み込んだものといえる。よって、現代の作家さんの書いたものでさえ、常に、過去しか書くことができず、初校、再校と何度もゲラを行き来させるなかで、どんどん時間の経過が一冊に練り込まれる。
よって、出版社が新しいことをやるとき、気をつけることはない。とはならない。残念ながら。
では、どうするか。
これぞ、今年に入っての発見なのだが、「人の時間軸」を入れることが肝要だと思った。
つまり、若い人を加えることだ。次世代へバトンをついでいけるよう、組織のなかにも時間軸を入れること。
それが、新卒採用をする最大の理由かもしれない。
この7年のなかで5名の新卒採用メンバーが入ってくれている。
彼ら・彼女らの存在が、社内にいい流れを呼ぶという循環を生んでいる。そんな気がしている、とは先述のとおりだ。
だが、これをしつづければ、当然、所帯は大きくなる。
ちいさくいることはできない。
事実、東京と京都あわせていまや13〜14名いるのだ。
もう、ちいさいとは言えないだろう。
で、冒頭のことばに戻る。
「小商いの要諦、それ、小商いの精神でありつづけること。『かたち』のみちいさくありつづけることにあらず。」
小商いを謳いつつ実態がそうでなくなった矛盾をうっちゃるため、半ば自暴自棄になって提示した要諦である。
……「いいえ」。
とここは言わせてください。
けっして、現状を肯定するために掲げた考えではなく、実際、小商いでやっていくためには「攻め」は欠かせない。くりかえすが、時代状況においてもそれは求められている。
そして、攻めれば人はどうしてもいる。攻めつづければ人も増えていく。
増えても、膨れず。大船になることなく。
新レーベル「ちいさいミシマ社」の立ち上げは、そのための一手であった。
つまりこういうことだ。
「自社内小商い」を起こす。
若手が育っていくためのレーベルとして、少部数に特化した本づくりをする。それは、まだ足腰ができていない段階で、「ヒット」を求められたり、ノルマを課せられたり、そういうプレッシャーにさらされずに、息の長い本づくりを身体化するための場を設けることでもあった。
なんてことは、微塵も考えていなかった。つい先日、事後的に思ったことであることを付け加えておく。
思いつきは思いつきを呼ぶ。というわけで、さらに思いついた。
これって、大企業においても「効く」のでは? と。
若手を登用した社内小商い。ノルマを課さずのびのびと。
いや、企業であれば、年配者との組み合わせなど、もっともっと複雑でおもしろいことができるのでは??
まあ、すべて仮説にすぎない。長い目で検証いただければ幸いである。