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三島邦弘

三島邦弘/ミシマ社代表 編集者

今をときめく出版社「ミシマ社」のオフィスは会社というより家である。 なぜ「家」なのか? 家だと何が違うのか? へっぽこ代表兼編集者のコラム。

第2回 <あいだ>のオフィスにやってきた。

 ミシマ社の代表を務めているミシマは、一冊の本を上梓している。
 タイトルは、『計画と無計画のあいだ』。2011年10月に河出書房新社から発刊された。
そのタイトルに触発されたわけではないが、ミシマはその後、やたらと「あいだ」づいている。そんな風の便りがときどき届く。
 口を開けば、「あいだ」と言うらしい。
「出版は、理想と現実の<あいだ>や!」
「本は、商品と作品の<あいだ>だ!」
「編集者とは、常識人と変人の<あいだ>の存在では?」
 といったふうに・・・。

 ちなみに、この原稿はほんとうは、5月末が締め切りであった。今日は、7月30日である。いくらWebの連載とはいえ、遅れ過ぎというものだろう。それに対するミシマの弁明は編集者の端くれにも置けないひどいものだった。
「締切にも<あいだ>というものがある。それは、<締切希望日>と<印刷する日>の<あいだ>である! いまだ我、<あいだ>に存する」
 まこと、許しがたい発言である・・・。

 このように、<あいだ>を悪用し始めているかのようなミシマではあるが、2年前は、もっと無意識のうちに<計画と無計画のあいだ>を体現していたようにも思える。
 その最たるものが、京都府城陽市へのオフィス設置だ。
 契機は、東日本大震災であった。

 あの日、自由が丘の木造一軒家のオフィスは、揺れに揺れた。大げさではなく、そのとき二階でミーティングしていたミシマは、「床が抜け落ちる」と思った。
「みんな、外に出て!」
 何も持たず外に飛び出たスタッフたちの目に飛び込んできたのは、お隣さんのコンクリート塀が波打つ様だった。そして、つい先ほどまで働いていたオフィスが、建設会社の耐震実験の映像かと見紛うばかりに揺れていた。
 金曜日だったその日はそのまま解散し、週明けに集まることにした。だが、週が明けても余震はつづく。そのたび木造家屋は、ミシミシと危うい音を発した。くわえて、福島第一原発事故による放射能の拡散という不穏な憶測も飛び交いはじめた。
 その日の朝のミーティングで、ミシマはこんなことを言っていた。

「被災地に行けるわけではないとしたら、とにかく平常どおり、自分たちは仕事をしよう。一生懸命仕事したくてもできない人たちがいる。自分たちはそうではないのに右往左往していては、被災地の方々に失礼だと思う。粛々と働こう」
 だが、午後には、どうやらそれが難しい、とミシマは感じはじめていた。
 周りの空気がなんだかおかしい・・・。
 そう思い、ミシマは知り合いの会社に電話をかけた。すると、その数社のいずれも、「今日から一週間休みにした」「自宅待機にした」という。
 たしかに、平常心で働く空気ではない。
 ミシマも同様に、「自宅待機としよう」とメンバーに伝えた。そして自身も自宅に戻った。しかし、戻って一時間も経たないうちに、へんな違和感をおぼえだした。
「自宅待機って言うけど・・・。一体、何を待機するのだ?」
 そう、待機する対象がなかったのである。
 たとえば、雨が降り止むのを待機する、というのはわかる。あるいは、取引先の社長の怒りが収まるのを待機する、というのもありえないことではない。だが、あのとき、一体何を待機すればよかったのだろう?
 とミシマは今でも思う。それで、そのときは、朝言った通り、「ふつうに働くことのできる身体の状態なのだから、ふつうに働かないと」と思った。そして即断する。
「いったん、東京を離れよう」
 そう決断したのは確かに急ではあったが、この考え自体はけっして急なものではなかった。
 ミシマは2009年段階で、「東京以外の場所に小さな出版社がいっぱいある」、そんなふうになるといいということを述べている。

「東京一極に大型船がいくつかあるだけの状態よりも、日本全国に小舟がいっぱい浮かんでいる。それが出版の多様性を担保することにもなる。出版に関しては、規模の大小よりも、一冊に込められる熱量が重要なはず。そして、その熱量は、密度の濃さと言い替えてもよく、ちいさな規模のほうがかえって熱を込め切ることができるものだ。そういう小さな舟が全国に散らばっていて、その土地の空気を吸いながら、その舟でしか生まれないものがいっぱい生まれてきたら・・・こんなに素敵なことはない!」

 と、夢みたいな絵をミシマは思い描いていた。

 しかし、それはあくまでも理屈に過ぎない。
なぜなら、そう唱える本人が、それをできないでいたのだ。事実、ミシマは東京でしか働いたことがなかった。
「自分たちが実践してこそ、理屈ははじめて『現実の策』になる」
 そういう志がミシマにはあった。
 ・・・と書けばかっこいいが、実際のところは、たんにワクワクしたのだ。
 東京以外の地で、東京では出会うことのできない人たちと、全然ちがう出版活動ができたなら――。それはとてつもなく面白いことだろう。
 そういう予感が、ミシマに理屈を語らしめていたところがある。
 たしかに、ミシマは震災の数カ月前にもある取材で、「ぜんぜん違うところでも出版活動をしてみたい」といったことを述べている。

 もっとも、そのときイメージしていたのは、四国や福岡などであった。
 それがまさか、京都府城陽市とは・・・。
 ミシマ自身は京都市内の生まれ育ちであるが、城陽は「まったく」といっていいほど知らない場所であった。
 ただ、知りあいがそこに一軒家をもっていて、空き家になっているということを、自宅待機のそのときに知った。
「一軒家」という言葉が心に突き刺さったのだ。

 やはり働くなら一軒家にかぎる。

 ミシマのなかで、自由が丘の木造一軒家はある意味、聖地のような場になっていた。
そのイメージがミシマを駆り立てた。
 まだ見ぬ一軒家。
 一刻も早く、そこに行かねばならぬ!

あまりに「ふつう」の民家。ところが中に入れば…という仕掛けもない。ふつう。看板は、学生メンバーが手作りしてくれたもの。現在は「ミシマ社の本屋さん」としてのみ使用

 そうして辿り着いたのが、その後、ミシマ社城陽オフィスとなる、一軒家であった。
 同年4月1日より、オフィスと称したものの、ついこの前まで老婆が住んでいたという、ふつうの家にすぎない。
 そこには、およそ、出版社には不似合いな調度品の数々があった。
 やたらと広いキッチン(それもシステムキッチン)、調律の整っていないピアノ、メルヘンちっくな家具、花柄の傘のついた壁電灯、大きなベッド、「誠意」と大書された掛け軸、ちょっとした畑ができそうなほどの庭・・・

 まさに、「あいだ」の行き着いた先というほかない。
ピカピカしたオフィスビルでもなく、かといって自由が丘の木造家屋のようなレトロ感もない。
「オフィスビル」と「趣きある建築物」のまさに<あいだ>。つまり、あまりにふつうの民家であった。
 同時に、その場所、城陽市は、「平城と平安のあいだ」でもあった。
のちに、城陽市はこの場所のことを「ゴリゴリの里」と呼んでいることをミシマは知る。
「平城京から五里、平安京から五里」というわけだ。

「計画と無計画のあいだ」の実践形は、この<あいだ>に行き着いたことで、ひとつの決着をみた。

 あれから二年の月日が流れた。
 ちょうど二年が経とうという頃、城陽のこの一軒家からオフィスを京都市内のど真ん中(烏丸三条)に移した。
 理由は、シンプルである。
 出版社の仕事をするには、あまりに不都合が多すぎたためだ(詳しい理由は省くが、結局、京都市内や大阪まで打ち合わせに行かねばならなかったりしたことも大きい)。現在、城陽オフィスは、「ミシマ社の本屋さん」として土曜日のみ(たまに平日や日曜も)開店している。

「ミシマ社の本屋さん」の店内(2012年1月末オープン当初)。現在は、マットではなく畳を敷いている。寝込んでもOK! 現在は、月に数回、土曜日に開店・10時半~17時 ●京都府城陽市平川山道115 ・・TEL0774-52-1750 (平日お問合せ先は、京都オフィス075-746-3438)

 かつて古人は、「国破れて山河あり」と言った。
 ミシマたちは何も破れたわけではない。
 ただ、ミシマはこの言葉を思い浮かべずにいられない。
「くにやぶれてさんがあり」
 なぜなら、たしかに、ここには「サンガ」があるからだ。
 山河もあるが、(京都パープル)サンガもある。その練習場と選手寮は、ミシマ社城陽オフィスのすぐ近くにある。
 ちなみにサンガは、プロ(J1)とアマチュアとの「あいだ」とも言うべきJ2にいつづけている・・・。

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