住ムフムラボ住ムフムラボ

三島邦弘

三島邦弘/ミシマ社代表 編集者

今をときめく出版社「ミシマ社」のオフィスは会社というより家である。 なぜ「家」なのか? 家だと何が違うのか? へっぽこ代表兼編集者のコラム。

第15回 「ミシマ社以前」前編

 もちろん、ミシマにも、ミシマ社以前と呼ばれる時代がある。たかだが創業10年の会社。齢41のミシマの半生どころか4分の3は、「以前」の時代に属する。しかし、その時代について本人から語られることはほとんどない。まれに発言しても、いやぁ、サラリーマンが合わなかったんです、くらいのもので、どうも核心を避ける節がある。どう合わなかったのか。どれほど合わないものだったのか。それを思い出すことは、すなわち傷口に塩を塗るにひとしく、口にした瞬間、憤死。そんなパンドラが隠れているのか。あるいは、たんに記憶喪失に陥ったごとくまったく覚えていないだけか。核心は、はて……。

 今回、ミシマは担当編集の中島氏に「ふりかえってみます」と答えたという。意外なことである。これまで語らなかったのはなぜなのか。その理由もおいおいわかることだろう。とにかく、ミシマがその気になっているうちに、ふりかえってもらうのがよかろう。しばし、温かく見守っていただきたく。

 サラリーマンが合わなかった? あはは、まあ、そうですね。合わないというより、そもそも、知らなかったんです。周りに、サラリーマンという存在があまりいなかったので。父は、僕が物心つく頃、自宅で商売をするようになりました。すると、幼い僕にとって父は、ずっと家にいて仕事をする存在となります。毎朝、ある時間になると家を出ていき、夜になったら戻ってくる。そんな存在ではありませんでした。

 あ、そうそう、父はその頃から心臓が悪かったんで、よく昼間でも体を横にしてましたね。あるとき父が、「お父さんが◯◯ちゃんのお父さんみたいにサラリーマンやったら、ちょっとしんどくなっても、こうして寝てられへんしな」と言ったことがあります。どういう話の流れだったかはまったく覚えていませんが、そのことばだけは、鮮明に記憶に残っている。けっこう驚いたんです。

 なんでや? なんでサラリーマンやったら昼寝できひんの。しんどくなったら寝ればええやん。——僕にとって、父が「ふつうの大人」だったので、世界中のお父さんはみな、しんどいときは昼間であろうが夕方であろうが寝るもの、そう疑ってみたこともなかった。しんどくなれば休めばいい。いやぁ、実に合理的じゃないですか。
 まあ、そういうわけで、サラリーマンはむずかしかったわけです。はい。

 えっ、飛躍がありすぎると。そうですか、うーん、そうですね、たとえば社会人1年目のひと月目の話をしましょうか。右も左もわからぬまま、あ、ちなみに、これは比喩ではなく、事実二重の意味でそうでした。ひとつは、むろん仕事がわかりません。名刺を持つのも初めてなら、営業電話をするのも初めて。
「あの、み、み、みしまと申します。えーと、えーと、は、はい、ええ、要件ですね……はい、要件はえーと」

 思えば、就活のときからそうでしたね。学生のくせに、すらすら言える人って、あれ、なんなんでしょうね? 正直、この人たちと一緒に働くの無理。って思ってました。まあ、向こうも願い下げでしたでしょうけど。ですから社会人一年目でいちばん辛かったのは、そうした社会人としての常識を身につけること。もうひとつ、右も左もわからなかったと言ったのは、東京という場所が初めてだったからです。そんなふうに、文字通り右も左もわからぬ若造でも、ひと月目の終わりに、給料をもらう日がきます。

 もう、その日の衝撃は忘れられませんね。明細を見てびっくりしたのです。額面で十数万だったとおもいます。その数字を見て、こ、こんなに、と思ったのです。だって、何も働いていないわけですよ。もちろん会社には通ってましたが、なにかをやったわけではありません。電話すらうまく出られない状態ですからね。なにか、というのは稼ぐような仕事をしたわけではないということです。そんな人間が給料をもらえる。しかもおそらく、毎月ほぼ自動的に。

 こ、こんなことがあっていいのか。これが「ふつう」だとはけっして思ってはいけない。きっと自営業の父のことが、根っこにあったのだと思います。自営業だと、家にいるだけでお金が入ってくるなんてことありませんからね。だから会社に来るだけで特別働いてないのに、お金が入る、なんてことに慣れてはいけない。初任給の夜、そう感じたのをはっきり覚えています。

 そういえば、就職する日の前日だかに、父がふとこんなことを僕にもらしました。「ええなあ、お父さんも会社で働きたいわ」。はぁ、何言ってんねん。と実際に言ったかどうかは覚えてませんが、そう思ったことは間違いありません。それから1年を経ずして、父は商売を畳むことになります。そして無職に。そのときは想像もしないことでしたが。
 すみません、ちょっと話が脱線しましたね。

 まあ、ぱらぱらっと思い出すことどれもこれも、まったくサラリーマン的ではありませんでしたね。一社目を辞めるときは、突然、旅に出るのだ、と天啓に打たれたかのようなコメントを残し、そのまま飛び出しました。その後、お金がなくなり違う出版社に入るわけですが、そこでは、サラリーマンというより、会社そのものに、なにからなにまで合いませんでした。出版社なのに高層ビルに入っていることも気にくわなかったですし(苦笑)。そんなの会社のせいでもなんでもなく、入社するほうが悪いに決まってんですけど。

 そうですね、いちばん象徴的なのは、労働組合に入らなかったことですかね。「みんな入ることになってます」と誰だかに言われたんです。この会社に入れば、ほぼ自動的に労働組合に入ることになっている、と。けど、僕としては、で? って感じでした。で、だから?みんな入るからといって、僕が入ることの理由にはなんにもなってませんけど。……もちろん、そんな言い方をすれば、角が立つ。だから、もう少しマイルドな言い方をさすがにした、かといえば、しませんでした(笑)。もう、その通りの言い方でしたね。

 むしろ、「全然成果も出てないのに、権利だけ振りかざして恥ずかしくないですか」というさらに過激な内容を多少マイルドに言った記憶があります。実際、そう思っていたんです。二社目に関しては、編集経験を積んだうえでの入社でしたので、自分にとっては完全に「勝負」の場でした。いうなれば、結果がすべて。会社に対してなにかを要求するなら、結果を出してから要求する。結果も出てないのに、徒党を組んで要求するのは、そもそもカッコ悪いし、編集者であることを自らやめるようなもの。そんなふうに考えていたんですね。若いなぁ、熱いなぁ。けど、今も基本的な姿勢はあまり変わりません。
 
 まあ、こんなちいさな会社、全員、そういう姿勢で働かないことには、現実問題もちませんからね。とにかく、あの頃は、「みんな一緒にぬるま湯に入りましょう」的空気が堪えがたかった。それで僕1人、労働組合にも入ってませんでしたね。だから、会社の構造としては、経営層、組合員、そして僕、でした。
 えーと。
 なんの話でしたっけね。ミシマ社以前の話?

 そうやってミシマが思い出しながら語り始めた話はここでは割愛したい。なぜなら、どの話も核心に迫るものではないと思わざるをえないのだ。あくまでも、会社員時代における「逸脱した会社員」話が中心になる。それは、必然、現在に直結する話であることを免れ得ない。
 つまり、出版社を起こすしか道はなかったにちがいない、というエピソードばかりを抽出しているのだ。意識的になのか、無意識のうちにかはわからない。ただ、この抽出の仕方は、その道しか自分にはなかったということを自らに言い聞かせているように捉えられなくもない。

 いずれにせよ、今回の課題は、ミシマ社以前であり、これは主に、起業直前を指すといっていいだろう。とすれば、会社員時代と、ミシマ社時代をつなぐ時期の話でなければならない。当然、誰にでも変化の時期というものがある。助走期間というものがある。
 それは、言い換えればグレーゾーンであり、悪くいえば、どっちつかずの時期といえる。
だからこそこれまで語られなかったにちがいない。触れたくても触れることのできない時期にあたるわけだ。

 けれど、そのつなぎの時に光を当てないことには、「ふりかえってみます」と返事をしてめざした話にはたどり着くことはない。本人の口から出ないとなれば、本人の記憶に潜り込んで、なんとか断片をつなぎ合わせて再構成を試みたいと思う。それこそが、私に課せられた仕事であろうから。

 2006年春——。ミシマ社が誕生する半年前にあたる、この時期から話は始まる。

(後編につづく)

コラムニストから選ぶ

PAGETOPへ