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三島邦弘

三島邦弘/ミシマ社代表 編集者

今をときめく出版社「ミシマ社」のオフィスは会社というより家である。 なぜ「家」なのか? 家だと何が違うのか? へっぽこ代表兼編集者のコラム。

第25回 見た目は変わらぬ京都であれど

 去年の春のことだ。大阪からの帰り、阪急河原町で降りた。四条大橋を渡り、京阪に乗り換えれば、ふたえきで「神宮丸太町」へ着く。京都オフィスがまだ川端丸太町近辺にある頃、大阪で用事があるときは、京阪と阪急を組み合わせることが多かった。

 この日も、京阪に乗り換えようと思いながら、四条大橋を渡りはじめた。ところが、橋のたもとにずらりと並ぶ観光客のすき間から南を望んだとき、気持ちが変わった。
 桜が満開だったのだ。
 大橋を渡りきり、南へ歩みを進める。見事に咲き誇った桜のアーケードがえんえんとつづく。

 ああ、こんなシーンどこかで観たことあったな。
 そうだそうだ、映画『海街diary』で四女すずが、男友達のふうたの自転車の後ろに乗って、桜のアーケードを駆け抜ける場面だ。目をつぶり、春と渾然一体となるすず。ひとりの少女が永遠にも感じるこの一瞬を全身で喜んでいる。その様が、デジタルではなく、フィルムで撮った映像の細部にあまりに美しく溶け込んでいた。
 ああ、あの感じだ。俺もすずみたいに、春と渾然一体になってみよう。そう思い、目をつぶってみる。

 ……てなことは、さすがにしなかった。言うまでもなく、すでに俺はおっさんであるからだ。四十を超えたおっさんが、広瀬すず演じるすずのごとく、晴れ渡った春空のもと、桜と同化してうっとり。なんてことした瞬間、公共の風紀を著しく乱したり。そんなふうに言われるのは、論をまたない。

 だが、そのときの俺が「うっとり」しなかったのは、なにも公共のなんとかを乱したくなかったからではない。物理的に、不可能であったからだ。押し寄せる、海外からの観光客。その波をかき分け、すり抜けるのに精一杯だったのだ。間違って「うっとり」なんぞしたら、春の風に自らを溶け込ませる前に、川の水に自らを浸すのがオチだ。


 もう3年近く前だろうか。ある日、自宅近くの居酒屋に家族と行った。
 そこは近所の人たちがひっきりなしに通う、ちょっとした名店である。当日突然ふらっと訪れたところで、満席で入れないことが多い。この日は珍しく、すんなりと入れた。自分たちが座っても、まだテーブル席がひとつ空いていた。

 いやぁ、ここのポテトサラダとカリカリごぼうサラダは最高だな。おいおい、息子よ、ひとりでポテトサラダ食べるのかい。丼にいっぱい入っているんだぞ。あとで、おいしい魚が待ってんだぞ。ひとくち、お父ちゃんにも、ポテトサラダおくれ。……あ、ありがとう。ひとくちって、文字通りひとくちなわけね。
 などとたわいもないことを言いながら、団欒の時間を過ごしていた。

 ちゃらりん。
 玄関の戸が開くと、呼び鈴が鳴る。もちろん、ここで振り返るような野暮なことはしない。バッキー井上が俺の耳元でこう語る。「お店に人が入ったとき振り向いて見たりしない。それがセコスタンス」。なんのこっちゃ、ではあるが、そこに一片の真理を見出そうとしてしまうのが、バッキー語録のすごいところである。

 ところが、この日は振り返らざるをえなかった。
 なかなか人が入ってこないのである。ばかりか、店主がすこし困った顔で入り口を眺めている。店主の視線を追うように玄関を見れば、そこにはヨーロッパからの観光客と思わしき4人家族が佇んでいた。
 店主は、やや顔をこわばらせながら、「ノーイングリッシュ。イングリッシュメニュー、ノー」と言った。

 お父さん、お母さん、息子さん、娘さん。一様に困った表情を浮かべている。きっとお腹が空いているのだろう。地元客向けのお店に来たということは、想像するに、Airbnbとかで見つけた家が、たまたまこの近所だったにちがいない。でなければ、ホテルも旅館もない住宅地のこのあたりを観光客が訪れることはまずない。たまたま訪れた街のたまたま通りがかった、感じの良さそうなお店に、ふらりと入った。おそらく、一家はそんなふうにして、ここにたどり着いたのだろう。

 一家の困った表情は、「英語メニューがなくても大丈夫。出ている食事を指で示すから」と語っていた。だが、店主のほうはそんなメッセージを感じる余裕はなく、ノーノーと身振りで伝えるに終始している。
 一家は家族間ですこし話したあと、仕方ないわね、という感じに肩をすこしあげ、去っていった。

 ああ、なんてこった。
 一家が去った直後、怒涛の後悔が俺を襲った。
 お店のご主人の態度は、けっして失礼ではなかった。せっかく入ってくれても、好きなものを提供する自信がない。それを素直に最初から伝えたわけだ。むしろ誠実であった。ご主人が、最初から排他的に断ったわけではないことは、先方もちゃんとわかったはずだ。

 問題は、俺のほうだ。
 こういうときにこそ、かつて旅人であった経験を生かさねば。
 韓国、中国、ポーランド、チェコ、ハンガリー、トルコ……こうした各地で、現地語メニューしかない、現地語しか通じない食堂に訪れた。そのいずれの場所においても、空腹の若者の入店を拒む店はなかった。まあ、そもそも、「ちょっといい店」にはほど遠い、とにかく安い街の食堂ばかり行ったわけだから、拒まれようもないのだけど。とはいえ、入店後の親切ははっきりと覚えている。

 韓国で入った焼肉屋では、一字たりともメニューが読めない。どれが肉で、サラダで、ご飯系なのかもわからぬ。何をどう頼めばいいのか……。そんな外国人に対して、おばさんは、ものすごくゆっくり丁寧な韓国語で、メニューを説明してくれた。

「こ、れ、は、お、に、く、で、す」
 おそらく、韓国語でこんなふうに言ってくれたのだと思う。が、どんなにゆっくり言ってくれても、韓国語の単語を知らぬ存ぜぬ身からすれば、結局のところ、わからないことには変わりない。けれど、その気持ちが嬉しく、なんだか通じあった気になった。そんなとき、もう何を食うか、は二の次になる。たとえ、プルコギを食べたくて「これ」と指さした結果、冷麺が出てきたとしても。

 ときどき、こういうことがある。偶然お客さんのなかに英語がすこしできる人がいて助け舟を出してくれる。すると、とたんに欲しいものを食する可能性が高まる。けっして流暢なわけではない。こっちも向こうも。だけど、数日訪れることになった旅先で、現地の人と「メニュー」を介して会話をした。交流が生まれた。それに勝る旅のお土産はない。正確にコミュニケーションができたかどうかではなく、コミュニケーションが生まれた。そのこと自体に旅の喜びはある。20年ほど前、旅人だったころの俺が骨の髄から実感したことのひとつだ。

 ところが、俺は黙っていた。沈黙していたのである。
 むろん、動こうとはした。だが、錆び付いた刀を抜刀するには至らなかった。旅人感覚という俺の刀はすっかり錆び付いていた。


「京都は、何十年ぶりに訪れてもあまり変わりませんね」 
 東京出身の人が久しぶりに京都を訪れると、多くの人たちが声を揃えて言う。
 修学旅行で歩いた路地がそのままありましたよ。
 あまり店も変わってませんよ。昔見た街角が、残っていてびっくりしました。
 いやあ、悠久の都ですな。
 平安時代に迷い込んだようでしたよ。ほっほっほ。……etc.

 たしかに、街の佇まいは変わらない。
 40年前に住んでいた地元をたまに自転車で通過すると、既視感というより、ほぼ同じであることがわかる。リフォームした家もあるが、多くは昔の外観のまま、表札も変わらずそのままである。同級生たちの家だけでなく、子供時代にインプットした「ここがなんとかさん家」という家々がそこにはある。

 変わったことといえば、現在の我が家の付近を含め、そういう住宅地にも観光客がときどき歩いている。西洋人があのあたりを歩いていれば、子供の俺たちにとって「事件」であった。自分の行動範囲で見かければ、全速力で家に戻り、「おかあさん、おかあさん、たいへん、たいへん!」と報告するところだ。

 変わらぬ街角の景色。いまではそこに、各国の観光客の姿がすっかり馴染んでいる。
 だが、変化はそういう表面上のものにとどまらない。
 写真だけ見れば一見変わらぬ街であるが、そこにはかつてあった「音」がなくなっている。

 幼稚園から小学生にかけて、じょじょに自分の行動範囲が広がる。友だちの家まで徒歩や自転車で、自分だけで行くようになる。かくれんぼや鬼ごっこをおこなうスペースも格段に広くなる。
 路地を走り抜け、友だちの家へと急ぐ。かくれんぼで、隠れる先を必死になって探しながら、空き家の隙間へ身をひそめる。

 その真っ只中に、ときおり「空白の時間」が舞い降りる。ふと、我に返る瞬間である。子どもながらにそういう瞬間が訪れると、突然、周りの音が聞こえてくる。
 ガチャ、ガチャ、ガチャ。パタン。
 路地の家々から機織りの音がする。
 子どもながら思う。——ぼくん家にはない音だ。けど、きんじょの○○ちゃんのおかあさんも、よくやっているやつだ。

 あの頃、内職で機織り、シミ抜きなどをおこなう家庭が西陣の界隈にはいっぱいあった。西陣という街を歩くということは、そうした音を日常として聞くということでもあったのだ。
 むろん、今では、まったく聞こえてくることのない音である。
 景色だけ変わらず、音だけがブラックホールに吸い込まれたみたいにして、完全に失われた。


 ああ、と俺は唸る。
 昔はあった音たち。俺は、それがあったことを知っている。
 それをもう一度、街に。なんてことを望むのは無理な話だが、時代が変わって、音が消え、観光客が増えた今、ちがう音を発しなければいけないのだ。
 つまり、それは、観光客との会話である。

 困った観光客がいたとときはむろんのこと、日常と化した観光客という存在に対し、音を発する。かつて機織りの音がそこにしたように、観光客との音のやりとりがあってしかるべきだろう。
 すくなくとも、この街に「音」があった記憶をもっている俺が、しかも、旅人としてちがう音を受け取ってきた俺が、発しないでどうするのだ。
 にもかかわらず、近所のお店で俺は怠った。

 いかん。まったくもって、いかん。
 俺のなかの旅人よ、もう一度。
 とおっさんの身体にムチを打ってみる。おい、この怠け者! 
 う……いたい。
 もう一度、打ってみる。おい、めざめろ!
 うん、ちょっといい気持ちになってきたぞ。う? これってちがう可能性の芽生えか? いや、いや、そんなことはあるまい。旅人感覚が、地元民としての感覚が、むくむくと……たぶん。

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